「蝉しぐれ」をぼくは2度読み、そのたびに感動するのだが、正直にいうと、文四郎のような人間に感動していていいのか、感動に身をまかせていいのか、という内心の声が耳の奥できこえる。どうやら、ぼくの内心には一心太助根性というべきか、みなが右へ行くと左を向きたくなる天邪鬼が棲んでいるらしい。
ヨーロッパの教養小説は、一面では故郷から追放された青年の遍歴物語である。青年は反抗し、追放され、自立する。ところが、牧文四郎はどうか。故郷は彼を試練にかけるが、追放せず、かかえこむ。文四郎には苦悩はあるが反抗はない。成長の意味が、どうやら教養小説とはちがうようだ。
終章の「蝉しぐれ」は、冒頭の「朝の蛇」からは30年ほども過ぎ、文四郎が活躍した海坂藩の騒動(第2次海坂藩事件とでもいおうか)から20余年がたっていて、父の名と同じ助左衛門を名乗る文四郎も、いまはお福さまと呼ばれるふくも40歳を越えている。文四郎は間もなく髪をおろすというお福さまの招きをうけて、郊外の屋敷で密会するのだが、この章に漂い流れる空気のしずけさ、おだやかさは、周平作品でなくては感じられない。ここまで長い物語を読んできた読者は、心のうちがしずかでおだやかなもので満たされるのを感じるだろう。
ぼくは若いころ翻訳小説を好んで読んだが、「蝉しぐれ」の文章は、それらとはまるでちがうユニークなものだ。文四郎の苦難と冒険は、調和の世界にたどりつくためのものだった。これを日本的というのは、少しちがうように思える。日本の農村に生きた人々の心の基層が描きだされているというべきではないか。
中年になった2人がしずかに過去を語るとき、無数の先祖たちがまわりで微笑を浮かべながら見まもっている幻影が見えるようだ。
山形新聞
藤沢文学の魅力(藤沢周平読本)
藤沢作品 こう読む
【蝉しぐれ】 農村の心、基層を描く
by 高橋義夫
https://www.yamagata-np.jp/feature/fuzisawa_feature/kj_2015012100467.php?gunre=kouyomu
藤沢周平さんの作品の中でも、「蝉(せみ)しぐれ」はもっとも多くの人々に読まれた作品ではないだろうか。テレビドラマや映画になるはるか以前に、この作品がまぎれもない名作であることは、小説好きの人々のあいだでは知られていた。
「蝉しぐれ」は昭和61(1986)年7月から翌年4月までの9カ月間、山形新聞夕刊に連載された。作者自身がなにかのエッセーで、連載中は読者からなんの反応もなくて拍子ぬけした、というようなことを書いている。しかし、本になって世に出ると、たちまち好評で迎えられた。
「朝の蛇」と名づけられた冒頭の章は、海坂藩の組屋敷の風景からはじまる。主人公牧文四郎が、隣家の娘ふくの蛇にかまれた指から毒を吸いとるという運命的なできごとから物語が動きだす。そのとっさの行為が、生涯のちぎりを意味することを、ふくとともに読者も了解する。文四郎はそのとき15歳、ふくは12歳である。
つづいて文四郎が通う剣術の道場の場面で、生涯の友人が読者に紹介される。文四郎と友人たちとの言葉のやりとりは、旧制中学の生徒たちの友情とはこのようなものか、と想わせる。
やがて文四郎の父が藩内の抗争の犠牲となって切腹させられ、苦難がふりかかる。文四郎が父の遺骸を車にのせ、坂をのぼろうとする場面。坂の上にある雑木林で、騒然と蝉が鳴いている。
喘いでいる文四郎の眼に、組屋敷の方から小走りに駆けて来る少女の姿が映った。たしかめるまでもなく、ふくだとわかった。
ふくはそばまで来ると、車の上の遺体に手を合わせ、それから歩き出した文四郎によりそって梶棒をつかんだ。無言のままの眼から涙がこぼれるのをそのままに、ふくは一心な力をこめて梶棒をひいていた。
ここまで読みすすめてきた読者は、耳の奥で蝉の声が消えず、文四郎とふくの運命がもはやひとごとに思えなくなっているにちがいない。文四郎とふくは、理不尽ともいうべき多くの苦難と悲しみ、ときおり雲間から微光がさすように訪れるわずかな喜びと幸福にいろどられた人生を生きていく。
「蝉しぐれ」は、19世紀ヨーロッパ文学の教養小説を思わせる骨格がある。日ごろ時代小説を敬遠する読書人に喜ばれるのも、そのためだろう。日本の近代の文芸の中で、ひとりの青年が成長し、自立する物語は、ひとつの系譜をなしている。例をあげれば、尾崎士郎の「人生劇場」、井上靖の「あすなろ物語」、古くは下村湖人の「次郎物語」に指を屈してもよい。それぞれの時代に、広く長く愛された物語である。「蝉しぐれ」もその成長物語の系譜の一本の柱となるだろう。
「蝉しぐれ」をぼくは2度読み、そのたびに感動するのだが、正直にいうと、文四郎のような人間に感動していていいのか、感動に身をまかせていいのか、という内心の声が耳の奥できこえる。どうやら、ぼくの内心には一心太助根性というべきか、みなが右へ行くと左を向きたくなる天邪鬼が棲んでいるらしい。
ヨーロッパの教養小説は、一面では故郷から追放された青年の遍歴物語である。青年は反抗し、追放され、自立する。ところが、牧文四郎はどうか。故郷は彼を試練にかけるが、追放せず、かかえこむ。文四郎には苦悩はあるが反抗はない。成長の意味が、どうやら教養小説とはちがうようだ。
終章の「蝉しぐれ」は、冒頭の「朝の蛇」からは30年ほども過ぎ、文四郎が活躍した海坂藩の騒動(第2次海坂藩事件とでもいおうか)から20余年がたっていて、父の名と同じ助左衛門を名乗る文四郎も、いまはお福さまと呼ばれるふくも40歳を越えている。文四郎は間もなく髪をおろすというお福さまの招きをうけて、郊外の屋敷で密会するのだが、この章に漂い流れる空気のしずけさ、おだやかさは、周平作品でなくては感じられない。ここまで長い物語を読んできた読者は、心のうちがしずかでおだやかなもので満たされるのを感じるだろう。
ぼくは若いころ翻訳小説を好んで読んだが、「蝉しぐれ」の文章は、それらとはまるでちがうユニークなものだ。文四郎の苦難と冒険は、調和の世界にたどりつくためのものだった。これを日本的というのは、少しちがうように思える。日本の農村に生きた人々の心の基層が描きだされているというべきではないか。
中年になった2人がしずかに過去を語るとき、無数の先祖たちがまわりで微笑を浮かべながら見まもっている幻影が見えるようだ。
藤沢周平
ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/藤沢周平
織田信長の先進性を認めながらも、小説の下調べのため史料を調べている時に残虐な振る舞いの多さに気づき、以降信長を嫌うようになった、とエッセイ『信長ぎらい』で述べている。別のエッセイによれば、この小説は明智光秀を描いた小説『逆軍の旗』のことであったという。また、この信長観については「全集」解説を担当している向井敏が、司馬遼太郎との差異として取り上げている。
(sk)
藤沢周平は69歳で死んだ。